
株式会社シードパートナーの企業ストーリー
企業ストーリー
大学時代のラグビーが人生の転機に
人間には誰でも大きな人生の転機があると思います。私もいくつかの大きな転機がありましたが、その中でも思い出深いひとつの“転機”を最後にご紹介します。
私は中学から付属校に通い、そこでラグビーを始め、大学卒業まで10年間、ラグビー漬けの人生でした。高校は全国大会に出場できるほどの学校ではありませんでしたが、高校1年の春からレギュラーになった私は、大学でも迷うことなく体育会ラグビー部に入部しました。大学は毎年日本一を争う強豪校でしたが、自分がレギュラーになることを疑わずに入部しました。
結果、4年間一度もレギュラーになることはできず、大学でのラグビー部生活は終わりを迎えます。当時の部員は160人ほどで、毎年何人かのスポーツ推薦の学生も入部します。練習は誰にも負けないほどしたつもりでした。それでも、一度も公式戦に出場することはできませんでした。
4年目の大学選手権の決勝でチームは負け、私は、その試合を観客席で応援していました。普段は感情を表に出さない私でしたが、その日は人生の99%の涙を流したと思えるほど泣きました。涙を出し切った後に、ほとんどラグビーだけに費やした4年間を振り返り、私は思いました。
「私はこの4年間、たくさんのことをチームから教わった。しかし、私はこのチームに何を与えることができたのだろう?私がいてもいなくてもこのチームは世の中に注目されただろうし、今日この日に国立競技場で大学選手権の決勝を戦っていただろう。」、「今まではアマチュアの学生スポーツの世界だから許されたことであり、社会人になったらこんな思いはしたくない。」
今までは学生だからと許されてきたことも、社会人になってからは許されなくなると思ったのです。それこそ企業に所属すれば、お金をもらうのだから、対価として結果を出すべきで、結果が出ないというのは通用しない。私は売上に貢献することが自分の役割だと思ったのです。

会長の相続対策の担当に抜擢
卒業後、業界最大手の損害保険会社に入社しました。単体で12,000人、グループでは2万人近い社員がいた会社でしたが、何とかそこで自分の価値を認められるようになりたいとずっと思って日々の業務や言動を行っていました。成績を上げるためなら、コンプライアンスの範囲内でできることはなんだってやろうと思っていました。
周囲にはおそらく生意気な新人と思われていたでしょう。上司からはとても良い評価をいただくこともあれば、残念な評価をいただくこともありました。
経過は省きますが、28歳の時に自分の願いが一部叶います。ある日突然、平社員の私が会長室に呼ばれました。不安の中で会長室に入った私に、秘書から次のように言われます。「あなたはずいぶん相続に詳しいらしいね。会長の相続対策の担当をお願いします。」
つまり、大勢いる社員の中で、相続対策については私が社内で一番詳しいと認められたのです。企業のトップにそう思われるなんて、これはとんでもないことが起きたぞ、と思ったものです。組織に、人に、社会に貢献したいと思いながらコツコツやっていたことが実感できた瞬間でした。
入社から8年で、「企業の中で自分の価値を出す。」という目標が多少なりとも叶いました。そうなると次の目標は、「もっと広い世の中で自分の価値を出す。」ということになりました。
組織の中にいると自分の立ち位置が見えるため、目標を立てることも、その目標の達成度合いを測ることも比較的わかりやすいと思います。しかし、もっと広い世界に目を向けると優秀な経営者や知識人は数多くいますし、自分がその方々を超えられると、当時も今も思えません。ただ、別にその方々を超える必要があるわけでもないので、今は自分ができることを精一杯やっていこうと考えています。